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電話しょうどくの歩み

電話しょうどくの歩み

おかげさまで60年間、電話の消毒事業をさせていただいて参りました。

明治36年
電話消毒換剤に従事する婦人

国内で初めてフォルマリン液を用いた電話衛生事業が
大阪で開始される。

(逓信省許可第1号)

電話消毒換剤に従事する婦人が文金高島田に袴を着用し、珍しいバスケットを持って街頭を歩いて商社商店を訪問し、電話を消毒する姿は将に時代をゆくモダンガールとして市民の羨望の的となり、当時の新聞紙面を賑わした。

欧米においては、1910年(明治43年)にイギリスのフォノタス社によって、毎週1回の電話機掃除サービスが始まる。

明治37年
当時の電話消毒は月3回で40銭。この頃には、電話消毒換剤に従事する女性は洋装に変化。

横浜に関東地区初の電話消毒業社が開業。

当時の電話消毒は月3回で40銭。

この頃には、電話消毒換剤に従事する女性は洋装に変化。

昭和8年

送話機と受話器が一体となった、通称「黒電話」が登場

昭和40年代途中まで、電話消毒薬の主原料はパラホルムアルデヒトであったが、その吸入毒性が社会問題になりつつあった。

昭和47年

当社は、主原料を硫酸オキシキノリンとした製品の医薬品製造承認を得て、製造を開始しました。

昭和60年

電電公社が民営化され、電話機が多様化する。

当社は、「全ての電話機に対応する電話消毒薬」の開発が命題となり、以後十数種類の電話消毒薬開発しました。

 

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